
いや~荒れましたね~富士
とりあえず富士F1=濃霧&豪雨の公式は破られなかったですね(^^:)スタートシーンが第1回日本GPの時の映像とオーバーラップして「やっぱりこれが富士なんだな~」となぜだか納得してしまいました(爆)
レースは久しぶりに「ちゃんとトラクション乗せて立ち上がるF1マシン&ドライバー」が見れて良かったんじゃないですかね
ヘビーレインのレースも相当ひさしぶりでしたし、必死さが伝わってきてこっちも気合入っちゃいましたよ
とりあえず、親チームを撃破した上、表彰台をふいにしたベッテルに激しく同情しますが、あとはてんやわんやでどうなっているのか分からずレースとしては楽しめませんでしたね~
しかし、あの豪雨の中、テールTOノーズで争っているのを見ると自分も早くレースしたくてたまらなくなりますね(^^:)「雨の中速い奴こそほんとに上手いドライバー」とよく言われますし、雨練がしたい気分になりました
総コケの日本チームには奮起を期待しますが、琢磨選手も山本選手も現状としてはそこそこ良いパフォーマンスだったと思います
バトンは1コーナーで絡んでなかったら良いトコ行けたと思いますが、トヨタに至っては映像に映る回数の少ないこと
何だか日本でF1やってる感じが全くしませんでしたね…
やっぱりF1は鈴鹿でやってないと盛り上がらないですね
いわゆる"今風"サーキットに生まれ変わった富士ですが、F1が走ってると他のティルケ氏作のサーキットと被って変な感じでした。確かに安全面から言うとダメなのかも知れませんが、鈴鹿の"古さ"は現代のF1には必要な要素なんじゃないかと再認識しましたね
やっぱりモータースポーツは「バリバリ安全だからめちゃめちゃ行けるジャン」を楽しむんじゃなくて「死ぬほど危険…だけど速く走りたいんだ!!」と言う"意志"見たいな物を感じて楽しむ物なんじゃないか…と我輩は思うのであります・・・

とりあえず富士F1=濃霧&豪雨の公式は破られなかったですね(^^:)スタートシーンが第1回日本GPの時の映像とオーバーラップして「やっぱりこれが富士なんだな~」となぜだか納得してしまいました(爆)
レースは久しぶりに「ちゃんとトラクション乗せて立ち上がるF1マシン&ドライバー」が見れて良かったんじゃないですかね


とりあえず、親チームを撃破した上、表彰台をふいにしたベッテルに激しく同情しますが、あとはてんやわんやでどうなっているのか分からずレースとしては楽しめませんでしたね~

しかし、あの豪雨の中、テールTOノーズで争っているのを見ると自分も早くレースしたくてたまらなくなりますね(^^:)「雨の中速い奴こそほんとに上手いドライバー」とよく言われますし、雨練がしたい気分になりました

総コケの日本チームには奮起を期待しますが、琢磨選手も山本選手も現状としてはそこそこ良いパフォーマンスだったと思います


やっぱりF1は鈴鹿でやってないと盛り上がらないですね


やっぱりモータースポーツは「バリバリ安全だからめちゃめちゃ行けるジャン」を楽しむんじゃなくて「死ぬほど危険…だけど速く走りたいんだ!!」と言う"意志"見たいな物を感じて楽しむ物なんじゃないか…と我輩は思うのであります・・・
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あるお方に、「何事にも大義名分がいる」と言う事を教えていただきました
いくら「日本人が全く挑戦したことが無い世界だから」とか「小さい頃からの夢だった」と言っても、それはあくまでも個人的感情でしかないのです
そこには「誰もがうなずける大義名分」が必要なのです。
実際、イギリスで活動していくには自己資金だけでは無理です
必要になってくる資金の量も相当な額になってきます
それを補うために、営業活動に行って、いわば「俺にお金を下さい」と言ってスポンサーを探していく訳です
その時に、「なるほど」と思わせるような大義名分がないと、その段階で資金提供してもらえる可能性を下げてしまうことになります。
最近色々考えて、個人的に F1ドライバーになりたい と言う事より ツーリングカーで世界一になりたい と言う事に非常に深い大義名分が出来るということに気付きました
今まで、そこまで深く「なぜ自分はツーリングカーのドライバーを目指すのか?」と言う事に触れてこなかったからかも知れませんが、ツーリングカーレースにこだわるのは、ただ好きだから…という理由だけではありません。
大げさかもしれないですが、これは 今後の日本、そしてアジア圏の発展において避けては通れない問題 であると思っています。その発展のために、本場ヨーロッパへ送り込んでもらい、学んだ事をフィードバックする…ためにヨーロッパのツーリングカーに参戦を目指しているのです
何か、少し胸を張ってレース活動に勤しむことが出来そうです

いくら「日本人が全く挑戦したことが無い世界だから」とか「小さい頃からの夢だった」と言っても、それはあくまでも個人的感情でしかないのです

そこには「誰もがうなずける大義名分」が必要なのです。
実際、イギリスで活動していくには自己資金だけでは無理です


それを補うために、営業活動に行って、いわば「俺にお金を下さい」と言ってスポンサーを探していく訳です

その時に、「なるほど」と思わせるような大義名分がないと、その段階で資金提供してもらえる可能性を下げてしまうことになります。
最近色々考えて、個人的に F1ドライバーになりたい と言う事より ツーリングカーで世界一になりたい と言う事に非常に深い大義名分が出来るということに気付きました

今まで、そこまで深く「なぜ自分はツーリングカーのドライバーを目指すのか?」と言う事に触れてこなかったからかも知れませんが、ツーリングカーレースにこだわるのは、ただ好きだから…という理由だけではありません。
大げさかもしれないですが、これは 今後の日本、そしてアジア圏の発展において避けては通れない問題 であると思っています。その発展のために、本場ヨーロッパへ送り込んでもらい、学んだ事をフィードバックする…ためにヨーロッパのツーリングカーに参戦を目指しているのです

何か、少し胸を張ってレース活動に勤しむことが出来そうです



9/26の車載映像をUPしました
。
あいかわらず変わり映えのない映像です(^^:)
今回は”必要なところではアクセル踏んでしっかり車を前に動かす”事を意識して走りました
まだまだ体現できていないですが、以前と比べて少し変わってきたかな~と思っています。
レースに向けて克服しなければなれない課題でもあるので、次の走行でもっと確かなものにしたいです
http://ameblo.jp/frdmf105

あいかわらず変わり映えのない映像です(^^:)
今回は”必要なところではアクセル踏んでしっかり車を前に動かす”事を意識して走りました

まだまだ体現できていないですが、以前と比べて少し変わってきたかな~と思っています。
レースに向けて克服しなければなれない課題でもあるので、次の走行でもっと確かなものにしたいです

http://ameblo.jp/frdmf105


師匠とも話し合った結果、11/11のクラブマンR6西コースのレース参戦が本決まりになりました
まだA級ライセンスを取らないといけないし、レース用装備、参加申し込み等やるべき事はありますが、参戦は本決まりです
それに伴って、次回走行からマシンが変わります
ほんの少しだけですが変わります
カラーリングも少し変わるかも

まだA級ライセンスを取らないといけないし、レース用装備、参加申し込み等やるべき事はありますが、参戦は本決まりです

それに伴って、次回走行からマシンが変わります





行って来ました、フルコース
満足感と不甲斐なさの残る微妙な走行でした(^^:)
タイム的には、自己ベストの0.00数秒落ちのタイムでしたが、バックストレートで思いっきりシフトミスして0.5秒ぐらいロスしていたので、それが無ければ自己ベストは間違いなく更新していたでしょうね
今回は、速い人はほとんど来ていなくて、1人だけ目標に出来る人(いつもレースではTOP5に入る人)がいたので、その人を追っかけて走っていきましたが、やはりこっちがミスしない限りついていく事は出来ます
場所によっては差を詰める事も出来ましたし、それぐらいのレベルでは走れるようです
あとは、この1ヶ月間ひたすら続けたイメージトレーニングが非常にいい方向に働いた事
最重要課題だった1~2コーナーの処理はだいぶ良くなってきました。それと、今回は左足ブレーキングを積極的に取り入れてみました…(と言っても小生左足ブレーキングは生まれて初めてであります(爆))コーナーによってはなかなか良い効果が見れて、これは使ってみる価値がありそうですね
それ以外にもデグナー、ヘアピン、シケイン等イメージトレーニングで上げていた課題はかなり思うように試す事が出来ましたし、師匠にもOKサインを頂きました
と…ココまでは良かったんですが・・・
3本目途中辺りから、完全に体力が底を尽いてしまい集中が途切れてしまいました
3本目は何とか完走したんですが、4本目に至っては、サインボードを見逃して「何を出してもらってたんだろ?」と考えているうちに1コーナーのクリップを取り逃してコースアウト…と言うありえない結末を演じてしまいました
(しかもその3周前ぐらいからずっとPITINのサインを出してもらってたらしいんですが全く見えていませんでした…確認はしてたんだけど…)
あと、危うくオーバーレブでエンジン壊すところでした
師匠に「こう言うミスしてると「中上君はオーバーレブ多いから良いエンジン渡せないな~」って言われて勝負権なくなるぞ~(笑)」と脅しを入れていただきました
(汗)どうも4→5のシフトアップの時に間違って3速に入る傾向があるので、それを改善してウルトラ音速シフトアップが出来るように色々トライしてみます
シフトミスにも言えることだし、今回の走行全体に言えることですが、テンション上げて"大胆"に攻めて行こうとすると、"荒っぽく"なっているだけな感じでした
車載からでもいつもの"繊細さ"がなくなって"大胆に"攻めて行こうとしてるけど、無駄に縁石に乗ったり、急ハンドルになったり、操作が雑になっているのがよく分かりました
この"繊細かつ大胆"の実現がこの先の課題ですね
なかなか難しい事だとは思うんですが、これが出来ないとレースでは勝てないので、レースまでに何らかの解決法を編み出します

満足感と不甲斐なさの残る微妙な走行でした(^^:)
タイム的には、自己ベストの0.00数秒落ちのタイムでしたが、バックストレートで思いっきりシフトミスして0.5秒ぐらいロスしていたので、それが無ければ自己ベストは間違いなく更新していたでしょうね

今回は、速い人はほとんど来ていなくて、1人だけ目標に出来る人(いつもレースではTOP5に入る人)がいたので、その人を追っかけて走っていきましたが、やはりこっちがミスしない限りついていく事は出来ます


あとは、この1ヶ月間ひたすら続けたイメージトレーニングが非常にいい方向に働いた事


それ以外にもデグナー、ヘアピン、シケイン等イメージトレーニングで上げていた課題はかなり思うように試す事が出来ましたし、師匠にもOKサインを頂きました

と…ココまでは良かったんですが・・・
3本目途中辺りから、完全に体力が底を尽いてしまい集中が途切れてしまいました


あと、危うくオーバーレブでエンジン壊すところでした



シフトミスにも言えることだし、今回の走行全体に言えることですが、テンション上げて"大胆"に攻めて行こうとすると、"荒っぽく"なっているだけな感じでした

車載からでもいつもの"繊細さ"がなくなって"大胆に"攻めて行こうとしてるけど、無駄に縁石に乗ったり、急ハンドルになったり、操作が雑になっているのがよく分かりました

この"繊細かつ大胆"の実現がこの先の課題ですね




書くの忘れてました(汗)
明日がフルコース走行です
レースに向けて押さえていかないといけない部分をシッカリ詰めてきます
走行がなかったこの1ヶ月の間、ひたすらし続けたイメージトレーニングが良いように働いてれれば良いんですがね
とにかく!トップ目指して行ってきま~す
明日がフルコース走行です


走行がなかったこの1ヶ月の間、ひたすらし続けたイメージトレーニングが良いように働いてれれば良いんですがね

とにかく!トップ目指して行ってきま~す



つ・・・ついにこの日がやって来ましたよ
長年待ちわびたこの日がついに

えっ?なにを盛り上がってるかって?それはね・・・
2008年10月(か11月)にWTCCが岡山国際にやってきます!!ついに・・・ついに・・・長年待ちわびた世界規格ツーリングカーが日本にやってきます!!(感動&涙)
いやぁ~ホント生きてて良かった(爆)こんな日がホントにやってくるとわ
この個人的盛り上がりは
1996年ITC(DTM)が鈴鹿にやってきた時以来の盛り上がりようです!!
あの時も、直前でサーキットがTIから鈴鹿に変更されたんですよね~
TIで行なわれるなら家族全員で見に行こうと盛り上がっていたのに、いきなり鈴鹿に変更され、入場料のバカ高さに諦めた切ない思い出が鮮明に残っています
しかし今回はそんなことは絶対ナイッ!!(と期待したい…)
まぁ、今なら鈴鹿に変更されようが何しようが絶対に見に行きますけどね
何しろ、自分が目指す物を目の前で見ることが出来るんですから
絶対見に行って、目に焼き付けてきます
本物がどんなものか!!
って盛り上がるのは良いけど、まだ1年以上先の話ですよね(^^:)



えっ?なにを盛り上がってるかって?それはね・・・
2008年10月(か11月)にWTCCが岡山国際にやってきます!!ついに・・・ついに・・・長年待ちわびた世界規格ツーリングカーが日本にやってきます!!(感動&涙)
いやぁ~ホント生きてて良かった(爆)こんな日がホントにやってくるとわ

1996年ITC(DTM)が鈴鹿にやってきた時以来の盛り上がりようです!!
あの時も、直前でサーキットがTIから鈴鹿に変更されたんですよね~


しかし今回はそんなことは絶対ナイッ!!(と期待したい…)
まぁ、今なら鈴鹿に変更されようが何しようが絶対に見に行きますけどね

何しろ、自分が目指す物を目の前で見ることが出来るんですから


って盛り上がるのは良いけど、まだ1年以上先の話ですよね(^^:)


レースデビューに際して、ホームページも一新しようかと思い作り直しています
前までのやつは、黒を基調として作ったので少しイメージが悪いというか、重々しい感じだったので、もう少し明るい感じのデザインに変えるつもりです
それに、まだちゃんとJAVAやスタイルシートの操り方を理解していない状況で以前は作っていたので(今もイマイチ分かってませんが…爆)画面サイズを変えると、デザインが崩れたりしていたので、今回はそう言うことのないよう気をつけて作っています
少なくとも、レースデビューまでには完成予定なので楽しみに待っていてください

前までのやつは、黒を基調として作ったので少しイメージが悪いというか、重々しい感じだったので、もう少し明るい感じのデザインに変えるつもりです

それに、まだちゃんとJAVAやスタイルシートの操り方を理解していない状況で以前は作っていたので(今もイマイチ分かってませんが…爆)画面サイズを変えると、デザインが崩れたりしていたので、今回はそう言うことのないよう気をつけて作っています

少なくとも、レースデビューまでには完成予定なので楽しみに待っていてください



そして、第11戦ドイツGPがスタートしました。
オールドコースのニュルブルクリンクですから、いくらF1とは言え1周7分近く掛かります。
ニュルの走るのが始めてのトリマーはまず、コースが分からずそれを覚えるのに時間を要してしまいます。しかし、最初は9分台だったタイムもフリー走行を繰り返すうちに、最終日には7分台にまで上がってきました。

予選がスタートすると、最初数周様子を見て走り、残り20分ほどとなったところで7"43"1を記録。予選通過タイムは7"42"0だったので翌周には間違いなく予選通過タイムを出せるハズでした…
しかし、いつになってもマキはホームストレートに帰ってきませんでした。
トリマー曰く、「その周は凄く良い走りが出来ていて、最後尾ではなくもっと良いポジションが得られそうだったんです。しかし、突然ウィングの翼端板が外れ、テールがスライドし縁石にタイヤをぶつけて、サスのアップライトが曲がってしまいコースアウトしてしまったんです」とのこと…
もうチームの落胆ぶりは酷かったそうです。何もなければ間違いなく決勝に出場出来ていただろうし、何よりもメインスポンサーシチズンの母国グランプリなんですから・・・
再びマキは決勝を前に撤退を余儀なくされます。
次戦はオーストリアGP、エステルライヒリンク(現A1リンク)が舞台です。
しかし、ここでもサスペンショントラブルからまともにタイムを出す事が出来ず、ハンドリングに問題を抱えたマシンは最終的に左リアハブを破損し、予選タイムも、ポールの10秒落ちで予選落ちしてしまいます。

このままでは本戦に出れないままシーズンが終わってしまいます。そんな時に、トリマーのマネージャーが「ノンタイトル戦がフランスのディジョンであるからそれに出てみないか?参加台数も少ないだろうし予選通過のチャンスだよ」と言い出しました。
そのために、僅かながら資金提供をしてくれる方が現れたらしく、何とかチームは参加に漕ぎ着けます。
レースは非選手権ながら、マクラーレン・フェラーリ・ロータス等トップチームはほとんど参加しており、本選手権さながらのレベル。
そんな中トリマー駆るマキは、予選最下位ながら初の予選突破を果たします

レースは、無難にスタートし1周目を14位で通過。その後も快調にラップを刻んでいきます。しかし、30周目に緊急ピットイン。
トリマー曰く「突然エンジンが噴けなくなった」と言う事。原因はハイテンションコードが緩んでいた事らしく、これを解決するのに3周ほどロスしますが再びコースに復帰し、トップから6周遅れの13位ながら見事初完走を果たします。
トリマーがピットまで帰ってくるとチームはお祭り騒ぎ。まるでチャンピオンを獲ったかのような盛り上がりだったそうです
本選手権は次戦イタリアGPのモンツァ。しかし、エンジンパワーが物を言うこのサーキットでは、マキの使うエンジンでは太刀打ち出来ず、ポールから7秒遅れで予選落ちとなってしまいます。

この時点で、1975年シーズンのマキ・エンジニアリングの活動は終了。マシンのポテンシャルアップを図ろうにも資金的にどうにもならず、借金もかさんでいたチームは、一旦ここで活動を停止しチームは解散されました。
チームのブレーンであった小野氏、三村氏も、小野氏は帰国しその年のコジマF1プロジェクトに参加。三村氏はイギリスに残って現行マシンF101cをベースにした来期用マシンF102aの設計に取り掛かります。
実際に三村氏は日本でF102aを製作し、1976年日本GPに参加します。F102aはサイドポンツーンが二次曲線の台形の形状をしており、非常にユニークなマシンでした。

しかし、熟成不足のマシンはトラブル続発でFujiまで呼び出されたトリマーを持ってしても、まともに走行することすら出来ず、予選落ちになってしまいます。
これで、さすがにマキ・チームの活動は完全に終了。
三村氏は、童夢の立ち上げに参加し、小野氏はマキで得た経験を生かしてコジマF1を設計。
ちなみに、マキ・チームのエンジンをメンテナンスし続けた近藤氏は、近藤エンジニアリングの近藤氏(笑)1976年のコジマF1奇跡の大修理の立役者です。
そのコジマF1を設計したメンバーには由良さん(現ムーンクラフト)や解良喜久雄氏(現トミーカイラ)もおり小野氏も現在は東京R&Dを運営しており、現在の日本の近代的モータースポーツシーンの原点が、このマキ・コジマプロジェクトにあったのです。
この話が好きなのはやっぱり、F1に出ること、予選通過することにこれだけ情熱を注げる時代があったんだなぁ~と思えるからです。全員が必死に、飲まず食わずでレースに参加しようとするこのハングリーさが現在のF1には全く感じられません。当時であれば、そりゃマシンがちゃんと1周走れるだけでも大きな意味があったわけですから。こう言う”本気のレース”を見たいし参加したいと思います
オールドコースのニュルブルクリンクですから、いくらF1とは言え1周7分近く掛かります。
ニュルの走るのが始めてのトリマーはまず、コースが分からずそれを覚えるのに時間を要してしまいます。しかし、最初は9分台だったタイムもフリー走行を繰り返すうちに、最終日には7分台にまで上がってきました。

予選がスタートすると、最初数周様子を見て走り、残り20分ほどとなったところで7"43"1を記録。予選通過タイムは7"42"0だったので翌周には間違いなく予選通過タイムを出せるハズでした…
しかし、いつになってもマキはホームストレートに帰ってきませんでした。
トリマー曰く、「その周は凄く良い走りが出来ていて、最後尾ではなくもっと良いポジションが得られそうだったんです。しかし、突然ウィングの翼端板が外れ、テールがスライドし縁石にタイヤをぶつけて、サスのアップライトが曲がってしまいコースアウトしてしまったんです」とのこと…
もうチームの落胆ぶりは酷かったそうです。何もなければ間違いなく決勝に出場出来ていただろうし、何よりもメインスポンサーシチズンの母国グランプリなんですから・・・
再びマキは決勝を前に撤退を余儀なくされます。
次戦はオーストリアGP、エステルライヒリンク(現A1リンク)が舞台です。
しかし、ここでもサスペンショントラブルからまともにタイムを出す事が出来ず、ハンドリングに問題を抱えたマシンは最終的に左リアハブを破損し、予選タイムも、ポールの10秒落ちで予選落ちしてしまいます。

このままでは本戦に出れないままシーズンが終わってしまいます。そんな時に、トリマーのマネージャーが「ノンタイトル戦がフランスのディジョンであるからそれに出てみないか?参加台数も少ないだろうし予選通過のチャンスだよ」と言い出しました。
そのために、僅かながら資金提供をしてくれる方が現れたらしく、何とかチームは参加に漕ぎ着けます。
レースは非選手権ながら、マクラーレン・フェラーリ・ロータス等トップチームはほとんど参加しており、本選手権さながらのレベル。
そんな中トリマー駆るマキは、予選最下位ながら初の予選突破を果たします


レースは、無難にスタートし1周目を14位で通過。その後も快調にラップを刻んでいきます。しかし、30周目に緊急ピットイン。
トリマー曰く「突然エンジンが噴けなくなった」と言う事。原因はハイテンションコードが緩んでいた事らしく、これを解決するのに3周ほどロスしますが再びコースに復帰し、トップから6周遅れの13位ながら見事初完走を果たします。
トリマーがピットまで帰ってくるとチームはお祭り騒ぎ。まるでチャンピオンを獲ったかのような盛り上がりだったそうです

本選手権は次戦イタリアGPのモンツァ。しかし、エンジンパワーが物を言うこのサーキットでは、マキの使うエンジンでは太刀打ち出来ず、ポールから7秒遅れで予選落ちとなってしまいます。

この時点で、1975年シーズンのマキ・エンジニアリングの活動は終了。マシンのポテンシャルアップを図ろうにも資金的にどうにもならず、借金もかさんでいたチームは、一旦ここで活動を停止しチームは解散されました。
チームのブレーンであった小野氏、三村氏も、小野氏は帰国しその年のコジマF1プロジェクトに参加。三村氏はイギリスに残って現行マシンF101cをベースにした来期用マシンF102aの設計に取り掛かります。
実際に三村氏は日本でF102aを製作し、1976年日本GPに参加します。F102aはサイドポンツーンが二次曲線の台形の形状をしており、非常にユニークなマシンでした。

しかし、熟成不足のマシンはトラブル続発でFujiまで呼び出されたトリマーを持ってしても、まともに走行することすら出来ず、予選落ちになってしまいます。
これで、さすがにマキ・チームの活動は完全に終了。
三村氏は、童夢の立ち上げに参加し、小野氏はマキで得た経験を生かしてコジマF1を設計。
ちなみに、マキ・チームのエンジンをメンテナンスし続けた近藤氏は、近藤エンジニアリングの近藤氏(笑)1976年のコジマF1奇跡の大修理の立役者です。
そのコジマF1を設計したメンバーには由良さん(現ムーンクラフト)や解良喜久雄氏(現トミーカイラ)もおり小野氏も現在は東京R&Dを運営しており、現在の日本の近代的モータースポーツシーンの原点が、このマキ・コジマプロジェクトにあったのです。
この話が好きなのはやっぱり、F1に出ること、予選通過することにこれだけ情熱を注げる時代があったんだなぁ~と思えるからです。全員が必死に、飲まず食わずでレースに参加しようとするこのハングリーさが現在のF1には全く感じられません。当時であれば、そりゃマシンがちゃんと1周走れるだけでも大きな意味があったわけですから。こう言う”本気のレース”を見たいし参加したいと思います



マキ・エンジニアリングは三村建治氏(のちに”童夢”設立に参加)、小野昌雄氏(のちにコジマF1に参加)の二人が中心となって発足したチームで、マシンを完全に日本のみの技術で製作し(エンジンはフォードDFV)、F1グランプリに参戦しようと言うコンセプトで始まりました。
マシンの特徴は、当時日本国内では主流だったスポーツカー型ノーズ、それに伴ってタイヤを包み込むように前方が盛り上がった形のサイドポンツーン、そしてその中に収められたラジエターは革新的な縦置きでアウト側から吸気し、それをボディー上部に切られたスリットから吸い出して冷却するように作られていました
ドライバーの後方に聳え立つロールバー兼エアインダクションポッドは他に類を見ないほど大型。
カラーリングは”ナショナルカラー”の白地に赤に彩られました。
1974年、ドライバーは”ハウデン・ギンリー”を起用し、イギリスGPでデビューしました。しかし、シルバーストンに現れたマシンは、発表時のデザインからは大きくモディファイされており、ノーズは当時流行だったウィングタイプに、サイドポンツーンも絞り込まれて細くなり、その結果ラジエターはマシン後方に移動されています。ロールバーとインダクションポッドも分離され、小さくスマートな姿になりました。
実際のレースの方は、予選に参加するも、続出するトラブルの対応に追われタイムを出せるような状況ではなく、結局トップから4秒遅れで予選落ち。
続く、ドイツGPにも参加するも、予選中に大クラッシュを起こしマシンは大破、ドライバーも両足骨折の重傷を負い1974年シーズンはここで終わってしまいます。
翌年1975年シーズンは、シーズンオフの営業活動により時計メーカー"シチズン"がメインスポンサーとなり、マシンのカラーリングも鮮やかな青色になります。ドライバーも鮒子田・寛選手を起用しより日本色が強まりました。

その年のF1第8戦オランダグランプリで2年目のシーズンをスタートさせます。しかし、プラクティスを走り始めて僅か3周でエンジンがブロー。スペアエンジンが手元になかったチームは予選にも出場することが出来ず、泣く泣くイギリスへ帰るハメになります。
次に参加する第10戦イギリスGPまでの間、チームはイギリスで数回のテストを実施し、マシンの開発とポテンシャルアップに努めました。しかし、当然資金は乏しく、チームのメンバーはほとんど飲まず食わずで毎日を過ごし、トランスポーターで寝泊りする生活が続きます

そして、FIイギリスGPがやってきました。テストを重ねたマシンは幾分速さを増し、鮒子田・寛選手いわく「高速セクションはパトリック・デゥパイエのティレルにも負けなかった」そうです。しかし最大の弱点はマシンの重さ。当時の主力マシンは500キロ台後半だったのですが、マキは630キロ近くあり、とにかくブレーキが容量不足だったそうです。加えて、剛性も不足しており、特に低速コーナーで遅れを取っていたようです。
そのうえ、あいかわず続出するトラブルの対応に追われ、結局、予選では雨に祟られ、ポールから7秒落ちのタイムしか出せず予選落ちしてしまします。
続くドイツGPは、一昨年大クラッシュをしたニュルブルクリンク。ここでマキ・チームはドライバーを鮒子田・寛選手から、イギリス人のトニー・トリマーにスイッチ。経験豊かなドライバーで、メインスポンサー"シチズン"の母国ドイツでの戦いに挑みます…
2部完結の予定でしたが…まだ終われませんでした(爆)次回で、間違いなく完結しますのでよろしくお願います。
次回に続く・・・
マシンの特徴は、当時日本国内では主流だったスポーツカー型ノーズ、それに伴ってタイヤを包み込むように前方が盛り上がった形のサイドポンツーン、そしてその中に収められたラジエターは革新的な縦置きでアウト側から吸気し、それをボディー上部に切られたスリットから吸い出して冷却するように作られていました

ドライバーの後方に聳え立つロールバー兼エアインダクションポッドは他に類を見ないほど大型。
カラーリングは”ナショナルカラー”の白地に赤に彩られました。

1974年、ドライバーは”ハウデン・ギンリー”を起用し、イギリスGPでデビューしました。しかし、シルバーストンに現れたマシンは、発表時のデザインからは大きくモディファイされており、ノーズは当時流行だったウィングタイプに、サイドポンツーンも絞り込まれて細くなり、その結果ラジエターはマシン後方に移動されています。ロールバーとインダクションポッドも分離され、小さくスマートな姿になりました。

実際のレースの方は、予選に参加するも、続出するトラブルの対応に追われタイムを出せるような状況ではなく、結局トップから4秒遅れで予選落ち。
続く、ドイツGPにも参加するも、予選中に大クラッシュを起こしマシンは大破、ドライバーも両足骨折の重傷を負い1974年シーズンはここで終わってしまいます。
翌年1975年シーズンは、シーズンオフの営業活動により時計メーカー"シチズン"がメインスポンサーとなり、マシンのカラーリングも鮮やかな青色になります。ドライバーも鮒子田・寛選手を起用しより日本色が強まりました。

その年のF1第8戦オランダグランプリで2年目のシーズンをスタートさせます。しかし、プラクティスを走り始めて僅か3周でエンジンがブロー。スペアエンジンが手元になかったチームは予選にも出場することが出来ず、泣く泣くイギリスへ帰るハメになります。
次に参加する第10戦イギリスGPまでの間、チームはイギリスで数回のテストを実施し、マシンの開発とポテンシャルアップに努めました。しかし、当然資金は乏しく、チームのメンバーはほとんど飲まず食わずで毎日を過ごし、トランスポーターで寝泊りする生活が続きます


そして、FIイギリスGPがやってきました。テストを重ねたマシンは幾分速さを増し、鮒子田・寛選手いわく「高速セクションはパトリック・デゥパイエのティレルにも負けなかった」そうです。しかし最大の弱点はマシンの重さ。当時の主力マシンは500キロ台後半だったのですが、マキは630キロ近くあり、とにかくブレーキが容量不足だったそうです。加えて、剛性も不足しており、特に低速コーナーで遅れを取っていたようです。
そのうえ、あいかわず続出するトラブルの対応に追われ、結局、予選では雨に祟られ、ポールから7秒落ちのタイムしか出せず予選落ちしてしまします。
続くドイツGPは、一昨年大クラッシュをしたニュルブルクリンク。ここでマキ・チームはドライバーを鮒子田・寛選手から、イギリス人のトニー・トリマーにスイッチ。経験豊かなドライバーで、メインスポンサー"シチズン"の母国ドイツでの戦いに挑みます…
2部完結の予定でしたが…まだ終われませんでした(爆)次回で、間違いなく完結しますのでよろしくお願います。
次回に続く・・・


昨日は、F1が嫌い…という話をしましたが、今日は俺が好きだったF1を紹介しようと思います
ただ、例に漏れず、好きなことを書き始めるとどうにも止まらなくなるのが俺の悪いクセなので、2部に分けて、今日と明日で書いていきます
純日本勢のF1マシンの先駆けと言えば、当然ホンダですよね?1964年から1968年までの4年間F1に参戦し、優勝2回、年間コンストラクター部門第4位にもなりました
これ以降、マシンを自力で開発しF1に参戦を試みた純日本チーム(既存のチームを購入して…と言うのは除き)は現在のトヨタ・ホンダ・スーパーアグリまでないと大概の人々には思われています
しかし実際は、ホンダが第1期F1活動を終了した8年後の1976年に、コジマ・エンジニアリングがFujiで行なわれたF1グランプリに参戦すべくKE007(エンジンはフォード)を製作、参戦に漕ぎ着けます。

ドライバーは、長谷見昌弘を起用し、予選1回目、4位のポジションに入り一躍脚光を浴びます。しかし、ポールを狙った予選2回目で、トラブルから最終コーナーで大クラッシュ。モノコックにまで及ぶ大きなダメージを、fuji周辺のガレージ総出で翌日までに修理し、奇跡の決勝スタートを迎えます。
しかし、突貫工事で修復したマシンはアライメントさえもめちゃくちゃで、ストレートを真っ直ぐ走れないような状況。結局、予選10位から決勝11位で完走するに留まりました。

翌年のfuji日本GPにもコジマはKE009を持ち込みます。ドライバーは星野一義と高原敬武。しかし、この年もマシンの熟成不足から目立った成績は出せず、星野一義の11位が最上位となりました。

結局、コジマ・エンジニアリングのF1計画はここで終焉を向かえ、純日本チームによるF1優勝と言う目標は、一昨年のハンガリーGPのホンダの優勝まで待たなくてはいけませんでした。
と…
ここまではよく知れた話です
初めての日本でのF1とコジマの活躍は伝説的でしたから、業界的にも有名なお話となっています
しかし実は、このコジマがF1に参戦した1976年のほんの少し前、1974年から1975年にかけて純日本製マシンを使ってF1に挑戦した、全く無名の、謎のチームがあったのです。一度も予選を通過することなく撤退してしまうのですが、まさに彗星の如く現れ消えていったそのチームの名前は…マキ・エンジニアリング・チームと言うものでした…
後半へ続く・・・

ただ、例に漏れず、好きなことを書き始めるとどうにも止まらなくなるのが俺の悪いクセなので、2部に分けて、今日と明日で書いていきます

純日本勢のF1マシンの先駆けと言えば、当然ホンダですよね?1964年から1968年までの4年間F1に参戦し、優勝2回、年間コンストラクター部門第4位にもなりました

これ以降、マシンを自力で開発しF1に参戦を試みた純日本チーム(既存のチームを購入して…と言うのは除き)は現在のトヨタ・ホンダ・スーパーアグリまでないと大概の人々には思われています

しかし実際は、ホンダが第1期F1活動を終了した8年後の1976年に、コジマ・エンジニアリングがFujiで行なわれたF1グランプリに参戦すべくKE007(エンジンはフォード)を製作、参戦に漕ぎ着けます。

ドライバーは、長谷見昌弘を起用し、予選1回目、4位のポジションに入り一躍脚光を浴びます。しかし、ポールを狙った予選2回目で、トラブルから最終コーナーで大クラッシュ。モノコックにまで及ぶ大きなダメージを、fuji周辺のガレージ総出で翌日までに修理し、奇跡の決勝スタートを迎えます。
しかし、突貫工事で修復したマシンはアライメントさえもめちゃくちゃで、ストレートを真っ直ぐ走れないような状況。結局、予選10位から決勝11位で完走するに留まりました。

翌年のfuji日本GPにもコジマはKE009を持ち込みます。ドライバーは星野一義と高原敬武。しかし、この年もマシンの熟成不足から目立った成績は出せず、星野一義の11位が最上位となりました。

結局、コジマ・エンジニアリングのF1計画はここで終焉を向かえ、純日本チームによるF1優勝と言う目標は、一昨年のハンガリーGPのホンダの優勝まで待たなくてはいけませんでした。
と…
ここまではよく知れた話です


しかし実は、このコジマがF1に参戦した1976年のほんの少し前、1974年から1975年にかけて純日本製マシンを使ってF1に挑戦した、全く無名の、謎のチームがあったのです。一度も予選を通過することなく撤退してしまうのですが、まさに彗星の如く現れ消えていったそのチームの名前は…マキ・エンジニアリング・チームと言うものでした…
後半へ続く・・・


スパイ疑惑でフェラーリとマクラーレンがやり合っておりますが、守勢に立たされているマクラーレンが、今度はルノーの重大な秘密を握っていると脅しを入れているそうです(爆)
ルノーにすれば、とんだとばっちりですね(^^:)
フェラーリも、もしFIAがマクラーレンに無罪判決を下したら、民事で争うって言ってますし…もう勝手にやってくれって感じですね
これだからF1嫌いなんですよね…純粋にレースして、コース上で勝ち負けを決める要素が薄すぎるんですよ。だれがF1チーム同士が裁判で戦って勝ち負け決めてるのを見て楽しめるんですか…
もう・・・「レースは会議室でやってるんじゃない!現場でやってるんだ!」ですよ・・・(爆)
ルノーにすれば、とんだとばっちりですね(^^:)
フェラーリも、もしFIAがマクラーレンに無罪判決を下したら、民事で争うって言ってますし…もう勝手にやってくれって感じですね

これだからF1嫌いなんですよね…純粋にレースして、コース上で勝ち負けを決める要素が薄すぎるんですよ。だれがF1チーム同士が裁判で戦って勝ち負け決めてるのを見て楽しめるんですか…

もう・・・「レースは会議室でやってるんじゃない!現場でやってるんだ!」ですよ・・・(爆)


自分がレースに出ることがほぼ決定した事で、なお一層レースに対する情熱がメラメラと燃えてきました
ちょうど昨日が鈴鹿クラブマンの第5戦だったんですが、身近な人が初入賞したり、意外な人が勝ったり、意外な人がダメだったりと色々あって、現在の自分の状況と照らし合わせて自分がどの辺で、どんなレース出来たかな~と考えてみました
タイム的な事で言えば、予選ならドンケツ(っても東コースは1年以上走っていませんが…)、決勝ならトップ10辺りになっていたかな~と言う感じです
とにかく絶対負けたくないですね
勝てるかどうかは別にして。今まで、どこか”レースに出てない”事が周りとの違いみたいに感じて、同じ土俵で戦っていいのだろうか?と思ってしまう事も結構ありましたが、レースデビューが現実的になって来て、今まで以上に負けたくない・勝ちたいと言う気持ちが強くなりました
このモチベーションで練習していけば、また今までと違った課題や成果が出てくるんじゃないかと思っています

ちょうど昨日が鈴鹿クラブマンの第5戦だったんですが、身近な人が初入賞したり、意外な人が勝ったり、意外な人がダメだったりと色々あって、現在の自分の状況と照らし合わせて自分がどの辺で、どんなレース出来たかな~と考えてみました

タイム的な事で言えば、予選ならドンケツ(っても東コースは1年以上走っていませんが…)、決勝ならトップ10辺りになっていたかな~と言う感じです

とにかく絶対負けたくないですね


このモチベーションで練習していけば、また今までと違った課題や成果が出てくるんじゃないかと思っています



個人的に決断しました
2007/11/11、鈴鹿クラブマン第6戦、西コースでレースデビューします!
まだまだ課題は山積みなんですが、やっぱりちゃんと具体的な目標を決めて、それに向かってやっていかないといつまでもダラダラやってしまいそうなので決めました
って言っても、まだ師匠にもちゃんと話してないですが(^^:)あくまでも”個人的に決定”です。場合によっては変更になる可能性もアリ
でも、11/11って良い感じ(♯^‐^♯)
まだ、西コースならある程度は勝負できるかな…と思うんですけどね
これから、恐らくレースまで4日ほど練習できる日があると思うんで、その間でどこまでレベルを高められるか
が問題です
絶対に速い人に食らい付いて、最低でもポイントは取れるよう全力を尽くすつもりです

2007/11/11、鈴鹿クラブマン第6戦、西コースでレースデビューします!
まだまだ課題は山積みなんですが、やっぱりちゃんと具体的な目標を決めて、それに向かってやっていかないといつまでもダラダラやってしまいそうなので決めました


でも、11/11って良い感じ(♯^‐^♯)
まだ、西コースならある程度は勝負できるかな…と思うんですけどね



絶対に速い人に食らい付いて、最低でもポイントは取れるよう全力を尽くすつもりです



「俺、レースしてます
」と説明するのに、一発で名前とやってることを分かって貰える方法はないか
と色々考えた結果、とりあえず名刺を作ろうということになりました
しかし、何でも便利な世の中になりましたね~
某ホームセンターでパソコンで作った柄をプリントして自前の名刺が作れるキットが800円ほどで売ってました
位置合わせが少々難しかったですが、簡単にMY名刺が出来ちゃいました
これで、プチ営業活動が出来ますね

表
裏



しかし、何でも便利な世の中になりましたね~


位置合わせが少々難しかったですが、簡単にMY名刺が出来ちゃいました




表




最近ネタ不足なので、再びグランツーリスモ系なお話を…
大してレースゲームに興味のない方には、少々の我慢をお願いしますm(_ _)m
時期グランツーリスモの実験版であるGT5プロローグが来月発売になります。とりあえず、前作のGT4、GT4オンラインから変わるであろうポイントを少々…
大きく変わるのがレースに出てくるCOM車の台数
GT4までは最大6台でしたが、GT5Pでは16台にまで増えるそうです。
次がCOM車のAI。GT4までのAIの動きはすこぶる不評でしたが、その辺が少し改善されるようです
具体的に言えば、こっちがイン側にいればその分のラインを開けてくれる…と言うような動きをするようです
その他、細かい改善点は色々あるんでしょうが、個人的には「画質」はどうでも良いです
GT4の画質で十分ですし、それより挙動です!挙動!GT4オンライン最終日にチャットでみんながポリフォニーの人々に言っていた部分がどれだけ実現されているのか?が重要です
そして、当然搭載されてくるであろうオンライン機能のレベルがGT4オンラインと比べてどうなのか?も気になりますね
この出来次第ではPS3&GT5Pの購入を考えないといけません(^^:)
参加台数16台がオンラインでも出来るか?と言われると、ちょっと難しいんじゃないかと思いますが、その辺本家からは情報がないので分かりません。
個人的にはGT4オンラインにリプレイ機能がなかったのが残念だったので、そこを何とかつけて貰いたいのと、ちゃんとした予選・決勝の流れを再現してもらいたいですね
GT4オンラインではスタート順位を強制的にきめられてしまいましたから、そこをコチラからの希望or予選結果で決めれれば良いんですけどね
色々書きたいことはあるんですけど、まとまらない&寝たいので今日はこの辺で(^^:)また続きは後日。

時期グランツーリスモの実験版であるGT5プロローグが来月発売になります。とりあえず、前作のGT4、GT4オンラインから変わるであろうポイントを少々…

大きく変わるのがレースに出てくるCOM車の台数

次がCOM車のAI。GT4までのAIの動きはすこぶる不評でしたが、その辺が少し改善されるようです


その他、細かい改善点は色々あるんでしょうが、個人的には「画質」はどうでも良いです


そして、当然搭載されてくるであろうオンライン機能のレベルがGT4オンラインと比べてどうなのか?も気になりますね

参加台数16台がオンラインでも出来るか?と言われると、ちょっと難しいんじゃないかと思いますが、その辺本家からは情報がないので分かりません。
個人的にはGT4オンラインにリプレイ機能がなかったのが残念だったので、そこを何とかつけて貰いたいのと、ちゃんとした予選・決勝の流れを再現してもらいたいですね


色々書きたいことはあるんですけど、まとまらない&寝たいので今日はこの辺で(^^:)また続きは後日。


久々にグランツーリスモ4とTOCAレースドライバー2をやりました
相当久しぶりにやったら腕が落ちまくっていて少々危機感を感じました
でも、トカドラはまだしも、グランツーリスモをやってると、どうもAIの動きが気に入らないですね
トカドラはその辺優秀で、結構良い動きをしてくるんですけど、グランツーリスモのAI相手では「レースの勉強」は無理っぽいですね・・・
その辺がグランツーリスモ5プロローグになってどう変わるのか?が見物ですね~
某サイトで見たドライバー視点の映像では、そこそこ良い動きをしていましたが。
どっちにしてもGT5PをやるためにはPS3を買わないといけないですし、そんな金どこから出て来るんや?と疑問に思いますが、出来次第では資金調達に奔走しないといけないですね


でも、トカドラはまだしも、グランツーリスモをやってると、どうもAIの動きが気に入らないですね

その辺がグランツーリスモ5プロローグになってどう変わるのか?が見物ですね~

どっちにしてもGT5PをやるためにはPS3を買わないといけないですし、そんな金どこから出て来るんや?と疑問に思いますが、出来次第では資金調達に奔走しないといけないですね



この間、師匠からある意味衝撃の新事実を教えられました
「おまえのドライビングスタイルは普通とは若干違うんだよ
(良い意味で)。バリバリのダウンフォースの効いたフォーミュラで速い乗り方なんだよ
」との事でした
悪いという意味ではなく、ごく一般的なFJを走らせてるドライバーとは違ったスタイルでドライビングしてる
と言う事でした。
ダメだと言われている訳でもなく、その方向で良いよ
と言う話だったので上機嫌で電話を切って、しばらくしてから決定的な矛盾に気が付いてしまいました
俺は、バリバリのツーリングカードライバーを目指してるじゃん!?
バリバリのダウンフォース効いたフォーミュラで世界を制したいんじゃなくて、バリバリダウンフォースの無いツーリングカーで世界を制したいんじゃないですか

これは軽視できる問題じゃありませんね~
その辺、もっと色んなスタイルを探っていく必要がありますね…

「おまえのドライビングスタイルは普通とは若干違うんだよ



悪いという意味ではなく、ごく一般的なFJを走らせてるドライバーとは違ったスタイルでドライビングしてる

ダメだと言われている訳でもなく、その方向で良いよ


俺は、バリバリのツーリングカードライバーを目指してるじゃん!?
バリバリのダウンフォース効いたフォーミュラで世界を制したいんじゃなくて、バリバリダウンフォースの無いツーリングカーで世界を制したいんじゃないですか


これは軽視できる問題じゃありませんね~




連日熱戦が続く世界陸上
なかなか期待されていた日本人選手が実力を発揮できていないですが、それでも見ていて感動しますね
特に短距離はモータースポーツと同じ「1/100秒を争う」競技なんでテンション上がりますね
でも、毎回思うのは「モータースポーツだってちゃんとしたスポーツです」って事ですね
世の中的には”モーター”って段階で、"人力"じゃないからスポーツじゃない
って意見をよく聞きます
オリンピックにもモータースポーツは無いですからね。
でも、夏の暑い盛りに炎天下でわざわざぶ厚いスーツ着て、熱いエンジン背負って強烈なGに耐えながら何十分と運動し続ける競技って他にありますか
”モーター”ってだけで何か運動してないように思われがちですが、それは違うと思います
難しいのは分かりますが、やっぱりモータースポーツ版世界陸上、モータースポーツ世界1決定戦をやって貰いたいですね
サーキットレース・サーキットトライアル・ラリー・ラリークロス・ジムカーナ・ドリフトなどで、国別対抗で最強国を決める
物です。
それぞれ個人戦と団体戦に分かれていて、使うマシンは各カテゴリ全て共通。レースは順位を、トライアルはタイムを、ドリフトは美的技術を競います
団体戦はレース・ラリークロスなら3~4人で走るセミ耐久、トライアルは参加者のタイム総合、ドリフトは参加者の得点の合計で競います
コストが絶対的に掛かるのでマシンは、個人レース用→フォーミュラフォード、団体レース用→ポルシェ911CUPカー、ラリー・ラリークロス用→PWRC仕様インプレッサ、ジムカーナ用→シビックタイプR 競技車、ドリフト→D1仕様シルビアなどで統一します。セッティングも固定。
各国を統率するのは、各国の自動車協会(日本で言えばJAF)で資金もそこが基本的に出資します。
こんなんやれば面白いと思うんですけどね~
まぁモータースポーツはお金が掛かりますから、無理なんでしょうが…
そこまでじゃなくても、せめて知名度がもう少し上がって、もっとテレビとかでモータースポーツが取り上げられるようになれば盛り上がるんですけどね

なかなか期待されていた日本人選手が実力を発揮できていないですが、それでも見ていて感動しますね


でも、毎回思うのは「モータースポーツだってちゃんとしたスポーツです」って事ですね



でも、夏の暑い盛りに炎天下でわざわざぶ厚いスーツ着て、熱いエンジン背負って強烈なGに耐えながら何十分と運動し続ける競技って他にありますか


難しいのは分かりますが、やっぱりモータースポーツ版世界陸上、モータースポーツ世界1決定戦をやって貰いたいですね


それぞれ個人戦と団体戦に分かれていて、使うマシンは各カテゴリ全て共通。レースは順位を、トライアルはタイムを、ドリフトは美的技術を競います

団体戦はレース・ラリークロスなら3~4人で走るセミ耐久、トライアルは参加者のタイム総合、ドリフトは参加者の得点の合計で競います

コストが絶対的に掛かるのでマシンは、個人レース用→フォーミュラフォード、団体レース用→ポルシェ911CUPカー、ラリー・ラリークロス用→PWRC仕様インプレッサ、ジムカーナ用→シビックタイプR 競技車、ドリフト→D1仕様シルビアなどで統一します。セッティングも固定。
各国を統率するのは、各国の自動車協会(日本で言えばJAF)で資金もそこが基本的に出資します。
こんなんやれば面白いと思うんですけどね~

そこまでじゃなくても、せめて知名度がもう少し上がって、もっとテレビとかでモータースポーツが取り上げられるようになれば盛り上がるんですけどね


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